happy birthday amy‼︎
5月9日はエイミーヒルのお誕生日です。
今回のお話は私が子供の頃から憧れていたアメリカの大女優エイミーヒルについてネットに存在する最も詳細に語る記事を作成することを目的としています。
ソースはWikipedia、本人のHP、インスタ公式アカウント、ツイッター公式アカウント、過去の本人談(主にTokyo Bound)から引用します。
この記事は新たな情報がで次第徐々に更新されていきます。
更新内容はその都度ご連絡申し上げます。
※注意 一部言葉が不快だったり外国人目線である彼女の証言を基に作成していることから随所に日本が好き、嫌いという言葉が出てきますが、彼女の意思を尊重しそのまま引用します。(なお筆者は大の日本好きです)
YouTube等のインタビュー動画
上記の他にエイミー本人談話の私立探偵S.D.A.石塚の独自の信憑性が最も高いソース
本 名 Amy Marie Hill
性 別 女 性
生年月日 1953年5月9日
星 座 牡牛座
出 生 地 アメリカ合衆国サウスダコタ州ローレンス郡
Abrams-Rubaloff & Lawrence、8075 West Third St.、Suite 303、Los Angeles、CA 90048
身 長 175cm(?)
体 重 非公表(80kg以上と思われる)
毛 髪 ライトブラウン
目 の 色 ヘイゼル
国 籍 アメリカ合衆国
民 族 日系アメリカ人
職 業 女優・声優・作家・監督
活動期間 1984年〜現在
エイミーは母親が日本人で2007年に他界(Instagramより)。Nikkoという日本料理店でパート従業員として働いていた。
その後グループ医療病院の厨房でフルタイム従業員として働いていた。(TokyoBoundより)
エイミーの母米岡綾子ヒル
父親はフィンランド系アメリカ人の元米軍兵。
猟や釣りが趣味であったが1979年VFWのミーティングに向かう途中交通事故で他界。(TokyoBoundより)
エイミーの父本名不明
エイミーヒルは幼い頃ブロードムーアの豪邸に住んでおり裕福な生活を送っていた。
よく一人でTVに出てくる人物の真似をしており、母親に統合失調症ではないかと心配されていた(実際は統合失調症ではない)。
本人含め判明している兄弟は弟のJon Hill(TokyoBoundより)の他妹もいるとの事(Instagramより)。
エイミーの兄ジョン
高校時代は外国為替クラブの会長をしていた。この時2年間日本語の勉強をしたとの事(TokyoBoundより)。
高校卒業後父の勧めはフィンランド留学、母の勧めは日本留学だったが自分のルーツを確かめるべく日本に留学する事を決意。この時18歳。上智大学に入学。キミコジョンソンという友人を得る。(TokyoBoundより)
日本人を見ての初めての印象は
「みんな小さくて暗いがきちんとしているがみんな同じに見える」との事。
髪は茶髪で腰まで伸ばしており普段着はTシャツにジーンズと下駄(おそらく草履)。
上智大学の同期たちはエイミーに対して少し荒かったとの事だが同時に顔は日本人であることから周りはあまり気にしていなかったとも発言している。
日本滞在中は毎日のように実家に泣きながら電話していた。これは家族と離れ離れになた寂しさや文化の違いで戸惑いを覚えてしまったための他日本人と比べ太めの体型を気にしていたらしい。
上智大学が肌に合わず他の私立大学へ転入。この時日本が嫌いと感じた。(TokyoBoundより)
1970年代 高校時代のエイミー 来日時のエイミー
体型の比較的大きい彼女は服や靴を合わせるのが大変だったという。
期日は不明だが茶道、花道、フラワーアレンジメント(おそらく生花)を習い始める。
フラワーアレンジメントの小池先生は柔らかく優雅なフェミニスト。この時はとても楽しく日本の良さに気づき始めた
マッサージを同じ生徒である男性にしていたところ惚れたとの事。
日本の天気予報や料理番組などの説明の丁寧さに感激、刑事ドラマのクオリティに感激する。紅白歌合戦に感動する。
痴漢の被害に遭うも全く気にしないどころかその相手に惚れてしまう。
日本の電車が時間通りに運行されていることに感動する。
ラーメンをものすごい勢いで食べる日本人に驚く。
日本に滞在してから3年。男性と正式なお付き合いに発展するも夜の営みを一度行った際にフラれる。
エイミーの日本というラジオ番組のパーソナリティを務め全国を行脚していた。高島屋でレモン売りのバイトをしていた。(TokyoBoundより)
日本に滞在してから5年。
織田(名不明)と言う男性と結婚する。
織田の母親は非常にフランクで日本人には見えなかったと言うがこれは織田の母親はヨシコ・クマールと言うインド系日本人だったためと思われる。
織田との結婚生活は長く続かず後に離婚。
理由は医者である織田の父と恋に落ちそうになったからだと言う。この事は二人の秘密にしていたがTokyoBoundでのちに暴露する。織田の両親とは非常に仲が良かったとの事。1990年時点では織田の父にもらったイヤリングを今でも大切に持っていると証言(TokyoBoundより)。
1年間の予定で来日したが最終的には7年間の滞在まで延びた。アメリカに帰るきっかけとなったのは母である綾子が帰ってきて欲しいと懇願したことによるとの事。(TokyoBoundより)。
アメリカ帰国後はロサンゼルス州のColdTohuで大活躍。
画像は1987年に撮影したColdTohuのメンバーたち。(後の善徳ファウンデーションである)
1980年代の日系アメリカ人舞台女優の代表的存在となる。この時TokyoBound他2つの舞台が全米で人気を博す。
アメリカの番組The Gong Showで一位を獲得。
この辺りから知名度が上がり数々の映画やドラマのお母さん役や脇役を演じるようになり、1994年のALL-American Girlでアジア系の祖母役を演じた事により人気、知名度が急上昇。まだ40代だが見事還暦の祖母役を演じている。
しかしこの作品はアジアにあまり詳しくない白人が監督、脚本を作成していたため出演者が講義したらしく残念ながら打ち切りとなった(筆者もこの作品でエイミーの存在を知ることとなる)。
1999年にはゴジラ2000ミレニアムにて声優として知名度を上げていく。その後スパイダーマンやあらゆる有名作品の声優を務めることとなる。
そしていよいよ日本でも有名なあの映画
2004年公開の50回目のファーストキスで女店主役を演じ多くの日本人が彼女の演技力、魅力に気づいたことだと思います。
もうすでに大波に乗っておりドラマ、映画にとどまらずアメリカのさまざまなバラエティ番組や講演会にも出演している。
さらにフィリピン航空のアナウンスも6年契約していた。
2010年以降はネットの急速な普及により彼女の知名度は世界規模にまで上り詰めており特に下の三役は非常に有名で彼女の立場を確たるものにした。
Crazy EX Girl Friendのチャン夫人、Just add Magic(魔法のレシピ)のママPことアイダ・テレス、 MagnumP.I.Reboot(私立探偵マグナム)のテウリア・クム・トゥイレタ。
もうこの方の魅力は歳を重ねるごとに増すので私を一生虜にする気なのか!?(アホ)
エイミーは子育てをしたいという願望からPenelopeという養子を迎え入れ深く愛している。
娘であるPenelopeも演者として活躍しており共に舞台に立つこともある。
彼女の性格は非常にユーモアあふれておりますが本当は内気で人前に立つのが苦手だといいます。しかし役を演じるにあたりもう一人の自分となることで多くの人々を目の前に立ち振る舞うことができるとのことです。
と言うことで今回はこの辺りにしておきます。
来年でいよいよ70歳を迎える大御所ですがこれからも益々の活躍を心より祈っております。
Amy Hill Cheers me up.
I am encouraged by Amy`s success as an actress.
Please support Amy!